1971年の河川工事によりヨシが激減していく中、高槻市、国土交通省淀川河川事務所、淀川環境委員会などによるヨシ原の回復の取組について振り返ってみます。
高槻市は1975年、淀川の河川工事より4年後に「最近のヨシは茎が細く背が低い、どんどん質が悪くなっている、どうにかならないか」と植物生態学が専門で大阪市立大学付属植物園に勤めていた小山弘道氏に自然保護相談員として鵜殿の調査を依頼して、鵜殿のヨシの調査を始めました。
調査を始めて14年後、1996年から、建設省(現国土交通省)淀川河川事務所は、ヨシの再生へ向けて以下の3つの対策を立てました。
その一つは「ヨシの再生には、水がかかせない。ヨシ原に水を送るため、淀川の水をくみ上げて水路を作りヨシ原に流す」というものです。1996年に初めて導水ポンプが設置され、2年後の1998年にはポンプの性能を上げ2秒間に1tの水をヨシ原に送る様になりました。(「雅楽だより」25号11頁、12頁2010年7月)
2番目には「ヨシを水に近づける方法(淀川の水位が下がった分だけヨシ原を掘り下げて淀川の水位に近づける)も行われ始めました。
さらに3番目には「良質なヨシの地下茎を、ヨシが生えていない所に移植して新たなヨシを創出する方法」も試みられました。
これらの3つの方法のその後について環境委員会の報告書では、3つの方法のどれもが「ヨシの回復にはつながっていない」と報告されているのです。この報告書を読んだ時はとてもショックでした。
1番目のヨシ原に水を送る導水路の方法については、導水を始めて13年後の2009年の淀川環境委員会の報告に「水条件の改善のみではヨシ群落への回復は難しいことが判った」(第24回淀川環境委員会陸域環境部会鵜殿保全フォローアップWG1-28)、2010年には「導水対策を行ってきたが、その効果は十分ではなくヨシ群落の生育範囲はきわめて限定された状況にある」(第26回淀川環境委員会 報告)と報告されています。
2番目の切り下げの方法については、切り下げより11年後の2009年の報告で「大半はオギ群落となっており、(中略)秋季にはヨシ群落が消失」「ヨシ群落面積が減少し、秋季はヨシ群落面積が0となり」さらに「篳篥の蘆舌の材料となるヨシなど、鵜殿の歴史文化を特徴付けるヨシは既存のヨシ群落に限られて生育」と報告されています。(2009年3月 第24回淀川環境委員会)
「ヨシ群落は0」「篳篥用ヨシは今までの所のみ」と切り下げをしても増えていないと記しています。(この切り下げは2019年現在も下流側で続いていて切り下げ地が拡大しています。現在は細いヨシが生えています)
3番目の良質なヨシの地下茎を移植する方法は「ツル植物の繁茂が著しい」(2006年第19回淀川環境委員会)「ヨシの回復状況が不良」(2008年第22回環境委員会)とヨシが減ってつる草が増えたという報告が続きます。そしてヨシの地下茎が採取された地は、ヨシ原に戻る事は無かったのです。今までヨシ原だった地から、ヨシの根を取り除いてしまったのでヨシが生えなくなってしまったのです。
この3つの方法は「報告書」を読む限りでもヨシを増やす効果は出ていない。現地ヨシ原を見てもヨシが増えている様子は見られないし、まして篳篥用ヨシは年々減少して来た。
(環境委員会の報告書については「雅楽だより」35号2013年10月号に詳しく掲載しています)