蘆舌用葦材の物性

蘆舌用葦材の物性Ⅰ ~葦の組織構造と伐採時の選別基準について~

筑波大学 生命環境系  小幡谷 英一 (雅楽だより59号より)

1 鵜殿の葦
古くから、篳篥の蘆舌には、淀川流域の鵜殿地区で採れる葦が最良と言われてきました。ただ、近年の周辺環境の変化によって、良い葦が採れにくくなっているとも言われています。そこで2014年、蘆舌用葦材の持続的かつ安定的な供給と、効率的な選別手法の確立に向けて、葦の物性(物理的性質)に関する研究がスタートしました。ここでは、これまでに得られている研究成果のうち、篳篥奏者のみなさまに関係がありそうな内容をわかりやすく解説することで、「葦や蘆舌に関する正確で客観的な情報」を提供したいと思います。
蘆舌に使われるPhragmites australisは、決して珍しい種類の葦ではなく、日本国内のいたるところに生えています。また、葦は水辺にしか生えないと思われがちですが、実際には、水に浸らない乾いた土地でも育ちます。なお、「ヨシ」「芦」「葦」など、様々な呼び方がありますが、ここでは混乱を防ぐため、生物材料学の分野で一般的に使われる「葦」を用います。もちろん、これはあくまで便宜上のものであり、どう呼んでも問題はありません。
葦は、種から発芽するだけでなく、地中に残った地下茎からも発芽します。成長が非常に速く、他の植物に先駆けて大きくなるため、葦が生えている場所では、他の植物があまり育ちません。葦は、竹と同様、非常に繁殖力の強い植物だと言えます。
淀川流域・鵜殿地区の葦は、古くから蘆舌に最適と言われてきましたが、鵜殿の葦なら何でも良いというわけではありません。鵜殿には、河原に水を引くための導水路が設けられています。導水路の周辺は、通水時に水に浸ります。このような「水域」で育つ葦は、面積当たりの本数は多いものの、茎が細く[1]、肉薄で[2]、稈の密度が低いものが多く[3]、蘆舌には適していません。

8p-1段 左 水域(写真➀)一方、河川敷には、水に浸らない乾いた土地もあります。このような「陸域」では、面積当たりの本数は少ないものの、高く、太く、肉厚で[1,2]、稈の密度が高い[3]葦が育ちます。蘆舌に使われるのは、このような陸域の葦です。

8p-2段 左 陸域(写真➁)
土質や標高は、葦の草丈や茎の太さにあまり影響を与えないことがわかっています。また、鵜殿の葦に特有の遺伝子があるわけではなく[4]、蘆舌に適した葦の中にも複数の異なる遺伝子があり、遺伝子が同じであっても、蘆舌に適したものと適さないものがあります。
このように、同じ「鵜殿の葦」でも、水環境によって草丈や太さや稈の密度が大きく異なります。少なくとも現時点では、鵜殿の葦が特別な葦であることを示す科学的な証拠は見つかっていません。「鵜殿の葦は繊維の密度が高い」と言う人もいますが、後で述べるように、葦の密度は同じ節間の中でも大きく異なります。鵜殿の葦の繊維密度が高いと断言するためには、何千本と言う葦を詳細に調べ、統計的に差があることを証明しなければなりませんが、そのような取り組みが行われた例はありません。
もちろん、鵜殿は歴史的に重要な葦の産地であり、鵜殿の葦原を将来に渡って保全することはきわめて重要です。ただ、葦の品質は、産地ではなく、生育環境(特に水環境)や材質によって判断するのが合理的だと言えるでしょう。

現在、鵜殿の葦原はいくつかの問題を抱えています。最大の問題は、クズやカナムグラなど、繁殖力の強い草本植物の侵入です。
頻繁に水に浸るエリアでは、葦の方が草本植物より「強い」ので、心配はありません。問題は、蘆舌に適した「陸域の葦」です。乾いたエリアでは、草本植物が葦よりも早く成長したり、つる性の植物が葦を引き倒したりして、葦が成長するのを邪魔します。その結果、鵜殿の一部のエリアでは、葦が完全に駆逐され、草本植物に占拠されています。

8p-3段 左 つる草(写真➂)したがって、「蘆舌用の葦を守ること」と「葦原を守ること」を分けて考える必要があります。どんな葦でも良いなら、水を引けば葦が育ちます。しかし、蘆舌用の「陸域の葦」を守ろうとするなら、他の植物の侵入や繁茂を防ぐ努力をしなければなりません。篳篥や雅楽を守りたいなら、葦原と蘆舌用葦を混同せず、冷静に議論する必要があります。
2 葦の構造
ここで葦の構造について簡単に説明します。

8p-4段 左  葦 写真(写真④)蘆舌用の葦の構造は、竹や、西洋のリード楽器に使われる葦(Arundo donax)とほぼ同じです。
硬い表皮の内側には、スカスカの(密度の低い)表層柔細胞層があり、その下には硬い厚壁細胞層があります。葦に刃を当てて表皮を削るとき、スッと刃が入るのはこのためです。一方、蘆舌の振動する部分に相当するのは、柔細胞と維管束からなる内層部です。この部分では、鉄筋のような維管束鞘(いわゆる繊維)の間を、スカスカの柔細胞が埋めています。内層部の密度や振動特性は、繊維の数や配置によって決まります。
面白いことに、同じ節間でも、上部と下部とでは稈壁の厚さや密度に明らかな違いがあります。これは組織構造の違いに由来します。

9p-2段 左 グラフ (表➀)

9p-1段 左 写真とグラフ 上の写真⑤にあるように、節間の上部は稈壁が薄く、表皮付近が高密度であるのに対し、下部は肉厚で低密度です。このような特徴は、鵜殿以外の葦にも見られます。つまり、稈壁の厚さや密度は、葦の良否や産地の違いとは無関係に、節間内の位置によって大きく変わります。そして、通常は節間の上部が蘆舌に使われることから、同じ直径であれば、薄く、密度の高い部位が蘆舌に適しているのではないかと推察されます。

3 葦の良し悪し
2014年、鵜殿で長年蘆舌用の葦を刈り取っておられる方々(以下、葦刈り職人と呼びます)にお願いして、直径12㎜前後の葦から「蘆舌に適する葦」を選んで頂きました。9p-3段 右 選別(写真⑥)また、通常は蘆舌に使わない水域の葦と、他地域(宇治川流域の向島)の葦についても測定を行いました[3]。

9p-4段 左 葦 グラフ (表➁)
稈の直径がほぼ同じであっても、水域の葦(UW)は、陸域の葦(UD1、UD2、MD)より明らかに薄く、密度が低いことがわかります。一方、蘆舌に適した葦(UD1)と適さないもの(UD2)を比べると、適した葦が若干厚いものの、密度はほぼ同じでした。また、向島の葦(MD)とも大差ありませんでした。稈壁の厚さ、密度、産地の違いは、葦刈り職人の考える葦の良否とはあまり関係なさそうです。では、葦刈り職人が選ぶ「蘆舌に適する葦」は何が違うのでしょうか?
10p-1段 中 グラフ 09次ページのグラフ(表➂)は、葦を横に押しつぶしたときの強度(横圧縮強度)を比べたものです。葦の種類に関わらず、上部が最も高い強度を示しました。これは、全体の密度が同じでも、上部の方が表皮付近の密度が高いためと考えられます。また、蘆舌に適した鵜殿の葦(UD1)の強度が、蘆舌に適さない葦(UD2)や導水路中の葦(UW)よりも明らかに高いことがわかります。葦刈り職人がどのような感覚に基づいて葦を選んでいるかははっきりとはわかっていませんが、少なくとも、つぶれやすい葦が除外されているのは間違いないでしょう。
次回は、葦の振動特性と、篳篥奏者が葦を選ぶ際の基準について解説します。

資料
[1] 第5回 新名神高速道路 鵜殿ヨシ原の環境保全に関する検討会, 資料2-1
[2] 第6回 新名神高速道路 鵜殿ヨシ原の環境保全に関する検討会, 資料2-1
[3] 中西遼、小幡谷英一:木材学会誌62(6),
–265 (2016)
[4] 第5回 新名神高速道路 鵜殿ヨシ原の環境保全に関する検討会, 資料2-3

謝辞
本研究は、日本学術振興会・科学研究費補助金の助成を受けて行われたものです(特定企業の利益や民間団体の主張とは一切関係ありません)。研究の遂行に当たって、以下の方々より様々なご助言、ご協力を頂きました。ここに記して謝意を表します。
・ 宮内庁式部職楽部(葦および蘆舌全般に関する助言)
・ 木村和男氏、平城健次氏(葦の選別、伐採に関する助言)
・ 西日本高速道路株式会社(資料および試料の提供)

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