蘆舌用葦材の物性II ~葦の振動特性~
筑波大学 生命環境系 小幡谷 英一(雅楽だより 60号より)
1、様々な木管楽器と葦
葦は、篳篥(ひちりき)の蘆舌(ろぜつ)だけでなく、クラリネットやオーボエなど、西洋の木管楽器の振動板にも使われています。西洋楽器のリードに使われる葦(Arundo donax)については既に数多くの報告があり、葦の密度や堅さが維管束鞘(いわゆる繊維)の割合で決まること[1]、葦に多量に含まれる糖が音色の柔らかさに寄与していること[2]などが明らかとなっています。しかし、篳篥蘆舌用の葦(Phragmites australis)についてはほとんど研究例がありませんでした。ここでは、最近明らかとなった蘆舌用葦材の振動特性[3]について説明します。
2、何をどうやって調べるか
蘆舌(リード)の振動を左右する性質として、密度(重さ)、堅さ(曲げにくさ)、減衰能(振動の減衰しやすさ)が挙げられます。多くの場合、堅さは「動的ヤング率E’」で、減衰能は「損失正接 tan」で評価されます。E’の値が大きいほど曲げにくく(堅く)なり、tanの値が大きいほど、音量が小さくなり、振動の立ち上がりや減衰が速くなります。いずれの値も、大きければ大きい(小さければ小さい)ほど良い、というものではありません。楽器の種類やリードの形状などによって、最適な値の範囲があります。
さて、材料の振動特性を正確に測定する際、通常は素材を板状にして、強制的に振動させるのですが、葦のように細い円筒から板状の試験片を切り出すのは非常に困難です。そこで、蘆舌を作るときの「ひしぎ」の工程を参考に、「アシの開き」を作ることにしました。篳篥奏者のみなさんはよくご存知かと思いますが、蘆舌を作る際は、下の写真①のように葦の一端を炭火の上で加熱し、専用の工具でつぶします。
葦をひしぐとき、葦の内部の温度は140C前後になっています。木材の場合、乾いた状態で加熱してもそれほど軟らかくはならないし、大きく曲げることもできません(大きく変形させるためには、湿らせる必要があります)。ところが、葦や竹の場合は、乾いた状態であっても、加熱しただけで大きく変形させることができ、しかも、冷ませばその形が保持されます(クーリングセットと呼ばれています)。
葦や竹がなぜそのような性質を示すのか、実はまだよくわかっていないのですが、とりあえず今回は、この「ひしぎ」の手法を真似して葦を平らに加工することにしました。
平らにした「アシの開き」を糸で吊り、スピーカーで様々な高さの音を当て、葦がどれくらい振動するかを調べれば、葦の振動特性値がわかります。
3、奏者によって選別された葦材の特徴
今回はまず、葦刈り職人によって選ばれた鵜殿産の葦69本から279節間を採取し、さらに、事前の聴き取り調査の結果に基づいて肉厚および外径がそれぞれ1.2~1.4㎜および11.0~12.3㎜の範囲にある62節間を選別しました。この62節間の上部を切り取って宮内庁式部職楽部の篳篥奏者にお渡しし、蘆舌に使えるものを選んで頂きました。同時に、節間の中央部を平らに加工して、振動特性を測定しました。
上のグラフ➀は、試験された全ての節間について、肉厚と直径の関係を示したものです。伐採された葦(グレーの点)は、肉厚も直径もかなり広い範囲に分布していますが、奏者が選んだ葦(黒丸)の寸法は、非常に狭い範囲に収まっていることがわかります。これは、肉厚や外径(奏者が気にするのは内径)が、蘆舌を作る上で非常に重要であることを示しています。
ただし、ここに示した肉厚や外径が「最良」ということではありません。適切な肉厚や径は、演奏団体によっても、また個人によっても違います。今回の評価は、あくまで宮内庁式部職楽部の篳篥奏者によるものです。団体や奏者によっては、より細い、もしくはより太い葦を選ぶでしょう。同じ式部職楽部であっても、江戸時代にはもっと細い葦を使っていたと聞いています。今回の結果から言えるのは「葦を選別する際、寸法や形状が非常に重要である」ということです。
では、振動特性はどうでしょうか。
上のグラフ➁は、堅さ(E’)と減衰能(tan)を、密度()に対してプロットしたものです。黒丸は篳篥奏者が選んだ葦で、白丸が選ばなかった葦です。奏者が選んだ葦は一定の範囲に収まっているように見えますが、特徴的な傾向(が大きい、E’が高い、tanが低い、など)は認められません。
含水率 (%) |
肉厚(mm) | 外径(mm) | 密度(kg/m3) | E’(GPa) | tand´ 103 | |
奏者が選んだ葦(9本) | 8.1±0.1 | 1.30±0.05 | 11.9±0.2 | 605±34 | 18.4±2.3 | 7.1±0.1 |
奏者が選ばなかった葦(53本) | 8.1±0.2 | 1.29±0.06 | 11.6±0.3 | 591±34 | 18.4±3.0 | 7.3±0.1 |
上の表➀は、奏者が選んだ葦と選ばなかった葦の様々な性質について、平均値と標準偏差(ばらつきの程度)を比較したものです。奏者が選んだ葦は、若干密度が高いものの、堅さや減衰能を見る限り、選ばなかった葦との差はありません。つまり、適切な寸法の葦であれば、振動特性についてそれほど厳密な条件はない、ということになります。
もちろん、これは「振動特性はどうでもいい」という意味ではありません。堅さや減衰能が極端に大きいかまたは小さい葦は蘆舌に使えないはずです(極端に軟らかいゴムや、極端に堅い金属で蘆舌を作っても音が出ないことは容易に想像がつくと思います)。また、内部が黒色の葦、断面が極端にゆがんだ葦、明らな腐朽が認められる葦は、寸法や振動特性が標準的であっても除外されます。この表が示すのは、蘆舌用葦材の「標準的な特性」です。
さて、前回の記事で説明したように、鵜殿の葦原では他の植物の侵入により蘆舌に適した葦が育ちにくくなっています。そこで現在、他の植物が繁茂しているエリアを刈り払い、別の場所で育成した鵜殿の葦を植え直すことにより、「蘆舌用の葦原」を再生しようとする試みが検討されています。ここに示した「標準的な特性」は、再生された葦が蘆舌に適しているか
どうかを客観的に評価するのに役立つと期待されています。
4、おわりに
本稿のおわりにあたって、篳篥奏者のみなさんに考えて頂きたいことがあります。クラリネットの世界では以前、「南仏のヴァール地方の葦が一番良い」と信じている人がたくさんいました。でも今ではそんなことを言う人はほとんどいません。フランス以外でも、アメリカやメキシコ、アルゼンチンなどで大規模な栽培が行われ、質の高いリードが安定供給されています。
本稿で明らかなように、ひとことで「鵜殿産の葦」と言っても、その性質には非常に大きなばらつきがあります。生物材料学の観点から言えば、「鵜殿産の葦なら良い音を出せるが、◯×産の葦では良い音は出せない」ということは絶対にありません。「この蘆舌は○×産の葦だから良い音が出ない」と言う奏者は、おそらく、鵜殿の葦を使っても良い音を出せないでしょう。重要なのは、産地のブランドネームに頼るのではなく、奏者個人が自分に合った葦(の寸法や性質)をきちんと自覚することだと思います。本稿をきっかけに、奏者のみなさんが葦原の現状や葦の性質について正しく理解して下さることを心から願っています。
資料
[1] E.ObatayaほかHolzforschung 53(1), 63-67 (1999).
[2] E.ObatayaほかJ.Acoust.Soc.Am. 106(2), 1106-1110 (1999).
[3] 小幡谷英一、中西遼:木材学会誌65(3), 131–137 (2019)
謝辞
本研究は、日本学術振興会・科学研究費補助金の助成を受けて行われたものであり、特定企業の利益や民間団体の主張とは一切関係ありません。研究の遂行に当たって、以下の方々より様々なご助言、ご協力を頂きました。ここに記して謝意を表します。
・宮内庁式部職楽部(蘆舌用葦材の評価試験)
・木村和男氏、平城健次氏(葦の選別と伐採)
・西日本高速道路株式会社(資料および試料の提供)
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