対談:雅楽はすごい。魂の音楽・雅楽

『新しい視点から雅楽を語る ⑴ 』
雅楽はすごい。魂の音楽・雅楽

対談   安冨 歩  東京大学教授  遠藤 徹  東京学芸大学 教授

5月には新しい時代を迎える今、東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩さんと、東京学芸大学教授で、東洋音楽学会の前会長の遠藤徹さんと「新しい視点から雅楽を語る」と題して、2月14日、東京大学東洋文化研究所で対談していただきました。

安冨歩さんは、『超訳 論語』『マイケル・ジャクソンの思想』など多数の本を出版されています。遠藤徹さんは、『平安朝の雅楽』『雅楽を知る事典』などの著書もあり「雅楽だより」では『楽家録』現代語訳の監修をしていただいている雅楽の研究の第一人者です。

20

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安冨歩 東大教授

○(遠藤)「安冨さん、初めまして。「雅楽だより」を編集している鈴木さんから、雅楽にとても関心を持っている東大教授の安富さんと対談をしていただけないかという連絡を受けまして、今日を楽しみにして参りました。

まず、安冨さんが雅楽になぜ関心を持つようになったのか、そのいきさつなどをお聞かせいただけませんか。」

○(安冨)「雅楽を、すごいと思うようになった理由を話すと長くなるんですが、かいつまんでお話しします。篳篥の蘆舌のヨシの保存の時に関心を持ちまして、それから「雅楽だより」を購読していますが、実は雅楽はほとんど聞いていませんでした。CDで聞いても感動しなかったのです。ところが、いろいろなきっかけから、音楽家の片岡祐介さんと、スピーカーを開発することになったのです。それもダンホールにスピーカーユニットを取り付けただけといういたってシンプルで安価なものです。「純セレブスピーカー」と名付けたのですが、これで雅楽を聞きましたところ、とても感動したのです。」

21

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠藤徹 東京学芸大学教授

○(遠藤)「そうなんですか。スピーカーを自作されているとは知りませんでした。」

○(鈴木)「演奏者の側からすると、スピーカーという出力の側は余り考えたことは無いかと思います。太鼓の音を録音する時は、どんなマイクが良いかとか、スタジオの状況を変えるとかではなかったかと思います。スピーカーのあり方を変えてとは考えてもなかったと思います。」

○(安冨)「今までの市販のスピーカーでは、太鼓の大きな音と、一管だけで鳴る小さな音をとても再生できない。できたとしても、ものすごくお金がかかる。ところが、安価で簡単にできる純セレブスピーカーでは、目の前で太皷が大きな音で鳴って、つぎの小さな管の音もはっきりと、空気感までが聞こえるのです。入れ物をダンボールに変えると、考えてもいなかった音の変化がありました。」

○(遠藤)「それは、なぜなのでしょうか。」

○(安冨)「雅楽的な発想と同じと思います。がっちりと固定してしまうと制御が難しくなるので、固定しない事が大事なのです。私がかつて研究していた非線形科学という分野があって、その知識を前提にすれば、音楽の再生のような極度に複雑な現象は、きちんと制御するのではなくて、ゆるく制御して、スピーカーが鳴りたいように鳴ってもらうのがいいんです。今までのスピーカーは、重くて固い木の函にがっちりと固定しますが、このスピーカーは、ダンボールや和紙で作った軽くやわらかな函体にユニットを載せて、自分で動くということにしています。この非線形思考に従った純セレブスピーカーで鳴らすと、太鼓の音でもそこに楽師が座って太鼓を叩いている様に聞こえるのです。」

○(遠藤)「それはすごいですね。画期的なスピーカーですね。」

○(鈴木)「机の上のこの小さいスピーカーからこんな音が出るとは信じられませんね、素晴らしい音ですね。驚きですね。今まではマイクの録音技術ばかり考えていましたが・・」

○(安冨)「この新しいスピーカーでいろいろな音楽、クラシックから、ジャズやロックなども聞きました。そして雅楽を聞き直

してみますと、その素晴らしさに衝撃を受けました。

それまでは、雅楽はそんなに深淵な音楽だとは思っていなかったのです。ところが、このスピーカーで聞き直してみると、蘭陵王の陵王乱序、太皷と鞨鼓と鉦皷だけで演奏される部分がありますよね。太鼓がゆっくりとドーン、ドーンと鳴っているだけなのに、そこがクライマックスであることがはっきりと感じられる。背筋が寒くなるほど感動しました。クラシックではクライマックスは、一番速く音が大きいのに、雅楽では静かなのです。クラシックの音楽と考え方が真逆といって良いかもしれません。」

○(遠藤)「クラシックや現代音楽と雅楽の違いについてもう少しお話しいただけませんか」

○(安冨)「クラシック音楽や現代音楽について片岡祐介さんと研究していて、細かくはまたの機会にという事にさせていだいて、かいつまんで話します。私はベートーベンの運命交響曲がクラシック音楽の原理を提示したと考えています。それは近代社会の隠蔽された抑圧と、人間の魂の対抗を表現する、ということです。そしてこのクラシック音楽は、第一次世界大戦で終わりました。機械化された戦争のあまりの凄まじい暴力の前に、魂の解放というテーマが見失われたのです。

シェーンベルクから始まる現代音楽は、暴力そのものを表現する方向に向いました。アウシュビッツや広島の原爆で、人間を殺しつくすというとんでもない現実が起きたとき、この現代音楽はそれにふさわしい作品を生み出すことに成功したのです。私は若い頃、現代音楽が大好きでした。

しかし、現代社会の中で私たちが必要としている音楽は何かと考えた時に、現代音楽もロックも必要なものを表現出来ていないと思います。現代はとてつもない暴力に満ちています。恐るべき核兵器、とどまることのない環境破壊などが地球を覆っていることは明白で、それを音楽として表現したところで人々はもう、うんざりなのです。ましてや今では、現代の恐怖を見事に描いた作曲手法を、その本義を忘れてこねくり回す作品ばかりで、現代音楽はもはや退屈極まりない。

また、ロックンロールは、少数の例外を除いて、単なる消費産業に堕落しています。音楽は、人びとが気をまぎらわす為に消費されている。ロックンロールの爆音に浸っている時だけ、不安を忘れることが出来る、そんな麻薬的な忘却装置としてある。

近代の抑圧を乗り越えるためだったはずのものが、さらなる抑圧を生み出している、そのような状況が現代ではないかと思っているのです。ではそんな時代に、何が必要なのかと考えた時、近代文明の持っている人間中心主義・合理主義には、解決の路は無いのです。哲学者ヴィトゲンシュタインが信じたように、神秘が合理性を支えていること、人間もまた自然と宇宙の一部だということを実感せねばならない。雅楽こそは、まさに宇宙を実感できる音楽だと思うのです。

現代音楽を生み出した人びとが目指した音楽は、実は雅楽ではなかったか、とさえ思います。ベートーベンは暴力と魂とを描きましたが、現代音楽は暴力だけを描いていて、魂はどこかにいってしまった。暴力を溶かす魂の力を描く非暴力の音楽は、雅楽のような音楽ではなかったか、と考えるのです。」

○(遠藤)「雅楽を世界の音楽史の中から捉え返すとなにか新しいものが見えてきそうですね。」

雅楽をめぐる対談は3時間余りに及びましだか話が終らず、これからも対談を続けていきましょうということで、この対談は連載することになりました。

今後は、世界の音楽史の中での雅楽や、音楽とは何か、などなど。今後をお楽しみに

22

机の上に置いてある白い球状の二のものが、安価で簡単にできる「純セレブスピーカー」。このスピーカーは目の前で太皷は大きな音で、管の小さな音もはっきりと鳴り、空気感までが聞こえる。

左より 安冨歩氏、遠藤徹氏 鈴木治夫