『ヨシ原通信』No.152 2023年3月19日(日)

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『ヨシ原通信』No.152 2023年3月19日(日)
発行 雅楽協議会 ヨシ対策室(担当 鈴木治夫)

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篳篥を吹く源博雅(『陰陽師 玉手匣 2』より)ⓒReiko Okano

『楽所日記』・『淀川両岸一覧』・「鵜殿の芦刈の願い」宮内庁記録・『大阪府全志』・「篳篥の舌を作る鵜殿ノヨシ」牧野富太郎著

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[1]「東儀秀樹ミニコンサート」3月26日(日) 午後2時30分
本澄寺の庭 無料 (雨天決行)
[2]「東儀秀樹ミニコンサート」の駐車について
[3] 3月27日以降の「つる草抜き」
[4]「鵜殿」「上牧」の名前
『楽所日記』・『淀川両岸一覧』・「鵜殿の芦刈の願い」宮内庁記録・
『大阪府全志』・「篳篥の舌を作る鵜殿ノヨシ」牧野富太郎著
[5] 寄付のお願い
[6]『ヨシ原通信』バックナンバー
[7] 問合せ先

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[1]「東儀秀樹ミニコンサート」3月26日(日) 午後2時30分

本澄寺の庭 無料 (雨天決行)
「ヨシ原焼き」も終わり、いよいよ「つる草抜き」の始まりです。

★初日は3月25日(土) 受付 午前9時より午後4時まで
(ボランティアの方は参加できる時間に)

天気が心配ですね。雨ですと取りやめですが、どうなりますか様子を見ています。
受付の場所は 旧山崎出張所のゲートよりヨシ原に入っていただき、堤防の上からヨシ原の左の方(工事車両入り口近く)に受付を設けます。
傷害保険に入りますので連絡先の記載をお願いします。

・ヨシ笛演奏を行います。初日の25日(土)午後1時より ヨシ原にて
是非聞きに来てください。

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(ヨシ笛演奏 ヨシ原焼の日に2023年3月12日 堤防にて)

★ 3月26日午後2時30分「東儀秀樹ミニコンサート」本澄寺の庭 無料(雨天決行)です

3月26日(日)の「つる草抜き」は、受付9時 (堤防下左 橋脚工事現場の近く)からです。お昼まで「つる草抜き」、昼食をヨシ原などでとっていただき本澄寺の庭へ移動してください。本澄寺の開場は午後1時30分です。公演は庭で行います。

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(3月26日(日)  東儀秀樹ミニコンサート 本澄寺の庭  開場1時30分 開演午後2時30分 )

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ヨシ原の上空より。堤防(旧河川事務所のゲート近く)より左手に見えるところに、受付を作ります。NEXCOの仕事場の近く。

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[2]「東儀秀樹ミニコンサート」の駐車について
(3月26日)堤防下(NEXCO作業場)に約20台余り駐車できます。

駐車希望の方は、メールを(gagakudayori@yahoo.c.jp)送っていただき、名前、車種、車のナンバーを連絡ください。駐車の可否の連絡をさせていただきます。先着順とします。
駐車の時間は朝8時半より夕方(東儀秀樹ミニコンサートを聴いての帰りまで)です。

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[3] 3月27日以降の「つる草抜き」

27日(月) 午前9時~午後4時 「つる草抜き」(以下同じ)
28日(火) 29日(水) 30日(木) 31日(金) 4月1日(土) 2日(日)

※4月15日(土) ~ 4月22日(土) 午前9時~午後4時
※5月7日(日)  ~ 5月14日(日) 午前9時~午後4時
※5月27日(土) ~ 6月3日(土)  午前9時~午後4時
上記を予定しています。(別日程でご参加できる方はご連絡ください。)

雨の場合(予報を含む)は中止。雅楽協議会ホームページなどに中止の告知をします
駐車場はありません。

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[4]「鵜殿」「上牧」の名前 江戸時代以降

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『楽所日記』 東儀文均 江戸時代  安政2(1855)年

天王寺方の楽人でヨシを持ち帰る為「上牧彦兵衛宅」を訪ねたとの記載がある。1855年10月23日のことである。「巳刻摂州上牧彦兵衛宅着、芦よる事、阿州弐百本、予百五拾本」(「雅楽だより」19号南谷美保より 詳しくは「雅楽だより」を参照ください )

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『淀川両岸一覧』 江戸時代 文久元(1861)年

四巻四冊からなる名所案内記。

「名産の蘆(あし) 右鵜殿村の堤に生出る蘆(あし)なり 篳篥の義觜(こした)に可なりとて むかしより世に名高く、貢(みつぎ)にたてまつる也」とあり、ヨシの生えている図が描かれている。

解説文は『摂津名所図会』と同文。

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(『淀川両岸一覧』江戸時代 文久元(1861)年 早稲田大学図書館)

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「鵜殿の芦刈の願い」宮内庁記録  明治4(1871)年

宮内庁の記論によると明治4年2月「伶人から 鵜殿の芦の刈り取りを願い出た」と記されている。まさに蘆舌のヨシを入手しておかないと雅楽の演奏を続けていくことができないという事を如実に現わしている。伶人が雅楽局に願い出たのは「芦の刈り取り」だけではなく「蘆生地保護の上申書」も提出しているようだ。同年6月には、辨官から伶人に対し「書面蘆生地ハ牧村地内ニハ無之。隣村鵜殿村進退地字鵜殿島新田ト唱淀川堤外之内ニ有之。同地開墾致候得上ハ五反歩程ハ蘆生ノ地ニ残置筈ニ候事」とある。鵜殿の蘆生地を開墾しないで蘆生地のままで残して欲しいという上申書に対して辨官の答えは、「5反歩(約5千㎡弱)は、蘆生地として残しておくはずである」というもの。

現在のヨシ原は、明治24年に淀川の大改修の工事や、河川敷用地の買収が行われたこともあり、大きく様子は変わったようなので5反歩がどこを指すのか分からない。
しかし、明治になって、新たに東京で雅楽の演奏を続け様としたときに、まずは篳篥の蘆舌のヨシの確保が大問題であったことは資料からしても確かなことある。

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『大阪府全志』井上正雄著 大正時代 大正11(1922)年

大阪府の全地域の成り立ちや変遷を記したもので資料収集に13年の歳月をかけている。「其の名世に高く、特に本地の蘆は篳篥の簧に最も適するを以て之を貢献し、古来獨り其の名を擅(ほしいまま)にせり」(巻三p689)と記されている。

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「篳篥の舌を作る鵜殿ノヨシ」 牧野富太郎著 昭和13(1938)年

日本の植物学の父とも呼ばれる牧野富太郎は「私はこの鵜殿ノヨシの正体を突きとめるべく、かつその生じている実況を知らんがために、去る昭和十二年八月十五日にその生育地なる大阪府摂津三島郡五領村鵜殿にいたり、村長森本正太郎氏のねんごろな案内にてよくこれを視察してきた」と書き始め「その結果鵜殿ノヨシはなんらふつうのヨシ」と書き進める。また昭和十二年三月十七日『大阪朝日新聞』を引用し「先祖代々」納入している五領村の梶村年造翁の紹介と「宮内省からは去る十二日楽部楽長坊城伯爵が下阪、森本村長の案内で鵜殿へ実地視察をし、村長以下係員は永劫に保存することを誓ったが本年度の五百本は十六日午後吏員総出で立派な箱に納め即日宮内省へ向け、めでたく今年の行事を終へた」と記している。(『牧野富太郎選集5』125頁~発行東京美術

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(『牧野富太郎選集5』p125 東京美術)

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[5] 寄付のお願い

「つる草抜き」の活動を続けていくための寄付をお願いしています。
寄付振込先

●郵便局は
郵便振込用紙に「ヨシへ寄付」と記入頂き
[口座番号]00140‐5‐614032
[加入者名]雅楽協議会

●銀行は
三井住友銀行 田無支店
普通 4012320
雅楽協議会 鈴木治夫

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[6]『ヨシ原通信』バックナンバー

『ヨシ原通信』を拡散していただけるとありがたいです。
『ヨシ原通信』のバックナンバーは、下記より読むことが出来ます。
http://gagaku-kyougikai.com/?p=2139

11月18日(金)の「まとめの会」に配布しました資料などは下記のアドレスから見ることが出来ます。
https://drive.google.com/drive/folders/1M4MpYYxGF_GAdzrpjayvbI6BEw6zO8YX

前号が『ヨシ原通信』150号でした。表記が149号のままとなっていました。訂正し、今号は151号とさせていただきました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

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[7] 問合せ先・連絡先

メール gagakudayori@yahoo.co.jp
℡042-451-8898 ℡090-1538-1693
雅楽協議会 http://gagaku-kyougikai.com

発行 雅楽協議会 ヨシ対策室事務局 担当 鈴木治夫

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