『ヨシ原通信』No.273 2024年1月18日(木)

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『ヨシ原通信』No.273 2024年1月18日(木)
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[1] ヨシ原焼き 農家全焼(1956年)
2024年2月18日(日) 点火9時 上牧・鵜殿ヨシ原
[2] ヨシ刈 2月2日、3日
[3]「東儀秀樹ミニコンサート」3月30日(土)午後2時30分 於 本澄寺
日程が3月30日(土)に変更
[4] 篳篥の蘆舌用ヨシの購入について
[5]『ヨシ原通信』バックナンバー
[6] 問合せ先

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[1] ヨシ原焼き 農家全焼(1956年) 18年間中止

2月18日(日) 点火9時 雨の場合は下記に順延
(予備日 2月25日(日) 3月10日(日))

ヨシ原焼きが行われるようになったのは、戦後1952年、1953年頃からとのこと。古く昔から行われていたと錯覚するのは「焼き畑農業」のイメージがあるからでしょうか。

ヨシ原焼きが1952年に始められたとして、その数年後の1956(昭和31)年、飛び火により農家が全焼してしまったそうです。その様子について古老たちの話が高槻公害問題研究会1981年発行『自然観察会ニュース 鵜殿のヨシ原 特集号1』p10に残されています。(下記に引用します)

ヨシ原焼きにより火事で家が全焼してしまうという事態に地元の方々は、途方に暮れたことは想像に難くありません。ヨシ原焼きは中止となり、18年もの長きにわたりヨシ原焼きは中断されていました。

そんな中でタバコの不始末や放火、セイタカアワダチソウの繁茂、ヨシの減少が続き地元の方々は高槻市にヨシ原焼き再開の要請をされたのでした。この経過については高槻市が1985(昭和60)年2月に発行した『「鵜殿のヨシ原」保全対策調査研究報告書- 都市における自然の再生-』の「はじめに」に記されています(下記に引用します)

そして1975年3月2日に再開されます。再開の日程について古老の話の中では「1975年2月再開とされていますが、高槻市の資料(1985年)では1975(昭和50)年3月(p2)、3月2日(p50)となっています。高槻市がヨシ原焼きの再開への協力を決めたのが同年の1月ですから、準備の時間などを考慮すると1975年3月2日に再開されたものと思います。

ヨシ原焼きはその後も2001年に中止に追い込まれます。雨による中止ではなく、降灰による被害の苦情が増えたためでした。

いろいろな出来事があってヨシ原焼きは現在に続きます。

——– 以下 引用 ——

高槻公害問題研究会1981年発行『自然観察会ニュース 鵜殿のヨシ原 特集号1』p10より)の引用

「2、ヨシ焼 (略) ヨシ原のヨシ(ヨシのことを地元では、オナゴヨシという)やカヤ(ヨシに対しオトコヨシとも呼ばれ、植物学的にはオギ)も有用な収穫物であり残さずきれいに刈っていましたから、野焼きも必要なかったのです。

ところが燃料にプロパンガスが入ってくるようになり、一方で雑草が増え続けるものですからヨシ焼を行うことに決めました。それは戦後数年たってからのことで昭和27,8年(1952、1953年)頃だったと思います。したがって昔から伝統的に行われてきたものではありません。

ところが、昭和31年(1956年)でしたが、ヨシ焼の最中に同じ村の農家の屋根に飛び火して全焼するという不測の事故が起きてしまいました。当時はカヤ葺きの農家も残っており、この火災を機にヨシ原焼きを中止にしたのです。

ヨシ原がほとんど冠水しなくなった上にヨシ原焼きを中止したためか、ヨシ原には年々セイタカアワダチソウが特に目立つようになり、地元でもヨシ原焼きの復活の声が高くなりました。それに放っておくとヨシ原を通る釣人等が捨てるタバコの火や、いたずらで火がついたり、ヨシ刈の際、残った前年のヨシは堅くなりすぎて刈るのに往生します。そんな訳で6年前の昭和50年(1975年)2月再開されたのです。

復活後は、年々見物客も増え、市も宣伝してくれますが、私たちが希望するのは、単なる物見遊山的な考えで来て欲しくないないということです。

荒れる一方のヨシ原を如何にして守るか、過去の大事故とも合わせ細心の注意を払って実施しますので、ご理解していただきたいのです。」

—— 『自然観察会ニュース 鵜殿のヨシ原 特集号1』p10の引用はここまで ——

—-以下 高槻市発行 1985(昭和60)年2月発行『「鵜殿のヨシ原」保全対策調査研究報告書- 都市における自然の再生-』の中の「はじめに」(p1) より引用 —–

「(略)飛び火による近接家屋の火災から中断されていた。しかし、その間しばしば発生したヨシ原内でのタバコの不始末や放火による野火対策、また進入雑草のためにヨシ収穫量が減少してきたこと、あるいは害虫駆除などの意味から本市に対してヨシ原焼き再開の要請が出されてきた。このことに対して、昭和50年1月本市では関係部局、市内の自然保護団体なと゜とともに検討を行った結果、淀川の自然保護の観点から協力していくこととなった。」(p1)

—–高槻市発行 1985(昭和60)年2月発行『「鵜殿のヨシ原」保全対策調査研究報告書- 都市における自然の再生-』引用はここまで——

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(龍のように炎が燃え上がる1981年頃のヨシ原焼き 写真 高槻市立図書館)

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(2013年2月24日のヨシ原焼き、降灰などの苦情を少なくするためヨシを刈り倒してから燃やすので炎は高くならない。)

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[2] ヨシ刈 2月2日(金)、3日(土)

上牧実行組合の方々が篳篥用のヨシを刈り取られた後、2月2日(金)3日(土)の2日間、残ったヨシを有効に活用できるようにと、ヨシ刈の準備が進んでいます。

来年(2024年)2月2日(金)、3日(土)

集合 午前9時 淀川河川事務所旧山崎出張所横

持物 手袋など

主催 一般社団法人ヨシオープンイノベーション協議会

問合せ・申込み メールアドレス yoshi@art-may.jp

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[3]「東儀秀樹ミニコンサート」3月30日(土) 午後2時30分

本澄寺 無料 雨天決行

都合により日程を1日前倒しで3月30日(土)午後2時30分に変更します。
すでに予定されている方 大変申し訳ございません。都合により変更させていただきます。

「つる草抜き」は3月23日(土)、24日(日)、25日(月)と始めますが、「東儀秀樹ミニコンサート」は3月30日午後 本澄寺(上牧駅より徒歩10分)で開催します。つる草抜きは31日(日)も行います。

30日の(午前中は「つる草抜き」をお願いしています。

鵜殿ヨシ笛サークルカワセミのみなさんによるヨシ笛の演奏もあります。

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[4] 篳篥の蘆舌用ヨシの購入について

「つる草抜き」エリアの篳篥蘆舌用のヨシを購入希望の方は下記へご連絡ください。
連絡先・問合せ先 メールアドレス
kimura7633@gmail.com (上牧実行組合 木村和男氏)

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[5]『ヨシ原通信』バックナンバー

『ヨシ原通信』を拡散していただけるとありがたいです。
『ヨシ原通信』のバックナンバーは、下記より読むことが出来ます。
http://gagaku-kyougikai.com/?p=2139

これまでに配布しました資料などは下記のアドレスから見ることがます。
https://drive.google.com/drive/folders/1M4MpYYxGF_GAdzrpjayvbI6BEw6zO8YX

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[6] 問合せ先・連絡先

メール gagakudayori@yahoo.co.jp
℡042-451-8898 ℡090-1538-1693
雅楽協議会 http://gagaku-kyougikai.com
発行 雅楽協議会 ヨシ対策室 担当 鈴木治夫

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篳篥を吹く源博雅(『陰陽師 玉手匣 2』より)ⓒReiko Okano

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