『ヨシ原通信』No.115 2022年11月1日(火)

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『ヨシ原通信』No.115   2022年11月1日(火)
発行 雅楽協議会 ヨシ対策室事務局(担当 鈴木治夫)

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篳篥を吹く源博雅(『陰陽師 玉手匣 2』より)
ⓒReiko Okano
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[1] 振り返り-8
[2]「まとめの会」を開きます。 11月18日(金)午後1時30分 上牧公民館
[3]「ヨシ原の今後を考えるシンポジュウム」 12月3日、4日
[4] 篳篥の不思議と神秘-7
[5]『ヨシ原通信』バックナンバー
[6] 寄付のお願い
[7] 問合せ先

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[1] 振り返り-8

今回はヨシ原で出会った動物たちです。
4月、5月は「つる草抜き」の準備などで周りを見ている余裕はとてもありませんでした。
少し慣れて来たからだろうか、カナムグラやヤブガラシ以外にも目に入るようになりました。ヨシ原で出会った動物たちの写真です。

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オオヨシキリの巣 5月19日撮影

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オオヨシキリの囀り 5月24日撮影

ヨシの葉を切り裂いて巣を作るのでオオヨシキリ(大葦切)と名付けられた。南方(フィリッピンやマレーシアなど)から4月下旬ごろに渡ってくるという。5月の「つる草抜き」は、オオヨシキリの鳴き声があつこちから聞こえました。(『ヨシ原通信』№40、44)

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ハグロトンボ(雄)(神様とんぼ、仏とんぼ) 7月27日撮影

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ハグロトンボ(雌)  9月25日撮影

ハグロトンボ(神様トンボとも仏トンボとも呼ばれる)は、とても印象的で、ヨシ原を一人で回っている時はいつも出会いました。(『ヨシ原通信』№72、94)

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つばめを初めて撮ったのは5月21日でした。

「つる草抜き」の場所での「つばめの塒入り」の様子を綾史郎さんが8月23日に確認してくださいました。つる草抜きの場所をつばめがねぐらにしていることを教えていただき、とても嬉しかったことを思い出します。この時の様子を動画の最後の方に入れてあります。

また、8月30日、ヨシ原の下流側での「つばめの塒入り」を赤對一雄さんに案内していただき動画にしました。下のアドレスをクリックしユーチューブの画面からご覧ください。

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9月25日 まだつばめが飛んでいました。
(『ヨシ原通信』№42、83、88、92、96)

この他にもサギとトンビ(№46)、イナゴ(№73)、ツチガエル(№74.75)、オオヒラタシデムシ(№80.81)、モンキチョウ(№83.84)、イチモンジセセリ(№88.89)、ウラナミシジミ、ウラギンシジミ(№100.101)、毛虫、テントウムシ、バッタなどなど撮りました。とてもありがたかったのは、分からない動物の写真を『ヨシ原通信』に掲載し送信すると、すぐに多くの方から名前などを教えていただけたことです。名前が分かるだけでなく『ヨシ原通信』を読んでいただいていることを肌で感じ、疲れが吹き飛びました。ありがとうございました。

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[2]「まとめの会」を開きます。

11月18日(金)午後1時30分 上牧公民館
「つる草抜き」初年の「まとめの会」を開きます。

来年の「つる草抜き」に向けて、良かった事、改善したほうが良い事、などなど情報を共有するとともに意見を出し合う会です。
多くの皆さまの参加をお待ちしています。

『上牧・鵜殿ヨシ原の篳篥用ヨシの再生に向けた取り組み 中間報告』(A4 20p)にまとめてあります。下記よりダウンロードするとどなたでも読むことが出来ます。
https://drive.google.com/drive/folders/1M4MpYYxGF_GAdzrpjayvbI6BEw6zO8YX

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[3] ヨシ原の今後を考えるシンポジュウム

ヨシ原の「千年の歴史の終焉をどのように回避するのか、について考えを深め、意見交流をし、今後の動きにつなげてゆきたい」と下記の内容のシンポジュウムが開かれます。
多くの皆さんと共に考えていきたいと思います。

【淀川河岸・三川合流地帯のヨシ原から考える社会生態史学の試み】

【1日目】
12月3日(土)午後1時30分~

会場 国際日本文化研究センター(京都市西京区)

ご挨拶:劉建輝(国際日本文化研究センター教授)
伊藤謙(大阪大学総合学術博物館講師・科研代表)
司 会:深尾葉子(大阪大学人文学研究科教授)
発言者(敬称略)
〇鈴木治夫〇木村和男〇綾史郎〇田口圭介〇三好龍孝

座談会・懇談会

【2日目】
12月4日(日) 午前10時~

本澄寺にて お話 〇高田みちよ ヨシ原へ 午後 雅楽演奏

安満遺跡公園へ移動。遺跡見学 総合討論 会食有

【問合せ・お申込み先】
参加申し込み等の連絡先 深尾研究室 fukaoken@outlook.jp(担当:谷俊作)
★可能な方は以下のグーグルフォームを使ってお申込みください。のちほど事務局からご連絡差し上げます。https://forms.gle/2jezoXB9Vx3iBgFj9

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[4] 篳篥の不思議と神秘-7

石清水八幡宮と神仏習合

「つる草抜き」をしながら石清水八幡宮のある男山が眺められます。ヨシ原から直線距離にして3㎞余り、とても近いです。石清水八幡宮は、今は神社ですが明治時代になる前までは、神仏習合(仏教と神道が一緒)でした。明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、現在のように神社となり、仏教の色合いは一切なくなりました。

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写真 石清水八幡宮 本殿(国宝) 撮影10月11日

しかし江戸時代までは、仏教と神道は一緒でした。ですから古い絵地図にはお寺や宿坊がたくさん描かれています。

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写真 石清水八幡宮 表参道 中谷に掲示されている慶応2年(1866)の絵図 撮影10月11日

男山には48余りの寺と坊があり、お坊さんが大勢修行されていました。慶応2年(1886)の絵図には、本殿へ続く表参道にたくさんの坊が描かれています
今も表参道には石垣などはそのまま残されてお寺の後や坊の様子を偲ぶこができました。

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写真 表参道 中谷の石垣 明治時代以前は建物が建ちお坊さんも大勢おりました。撮影10月11日

表参道には今も石垣、石階段などがあちこちに残されています。

さて、この男山に八幡宮が祀られるようになったのは、平安時代の859年(貞観元年)、行教(ぎょうきょう)というお坊さんが九州の宇佐八幡宮の神仏の分霊を移し(勧請)祀るようになったのです。この行教というお坊さんは、遣唐使として唐にも渡たり、奈良の大安寺(だいあんじ)のお坊さんでした。

「大安寺」というお寺の名前に驚きました。というのも大安寺というお寺は、雅楽ではとても大切なお寺なのです。奈良時代、まだ東大寺のできる前、736年(天平8年)に雅楽(林邑楽-りんゆうがく)を日本に伝えたのが、インドの僧(婆羅門僧正菩提僊那)とベトナムの僧(仏哲)で、その二人が日本に来てから住んでいた所が奈良の大安寺なのです。

大安寺は雅楽の伝承の中心地でした。

そこの偉いお坊さん行教が、石清水八幡宮を九州から勧請したのです。石清水八幡宮と雅楽とがこんなに密接につながっているとは思いませんでした。行教は雅楽の作曲もしているのです。(「喜春楽」『教訓抄』古代中世芸術論 岩波書店 56p)

次回は大安寺を見ていきます。

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[5]『ヨシ原通信』バックナンバー

『ヨシ原通信』を拡散していただけるとありがたいです。
『ヨシ原通信』のバックナンバーは、下記より読むことが出来ます。
http://gagaku-kyougikai.com/?p=684

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[6] 寄付のお願い

「つる草抜き」の活動を続けていくための寄付をお願いしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

寄付振込先
●郵便局は
郵便振込用紙に「ヨシへ寄付」と記入頂き
[口座番号]00140‐5‐614032
[加入者名]雅楽協議会

●銀行は
三井住友銀行 田無支店
普通 4012320
雅楽協議会 鈴木治夫

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[7] 問合せ先・連絡先

メール gagakudayori@yahoo.co.jp
℡042-451-8898 ℡090-1538-1693
雅楽協議会 http://gagaku-kyougikai.com

発行 雅楽協議会 ヨシ対策室事務局 担当 鈴木治夫

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