『ヨシ原通信』No.249 2023年9月20日(水)

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『ヨシ原通信』No.249 2023年9月20日(水)
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[1] 比叡山からヨシ原を望む
[2] ヨシ原には入会権(いりあいけん)があります。
[3] 篳篥のヨシをセイタカヨシ(西湖のヨシ)と間違えた理由   牧野富太郎-⑭
[4]『ヨシ原通信』バックナンバー
[5] 問合せ先

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[1] 比叡山からヨシ原を望む

いつもは上牧・鵜殿ヨシ原から天王山、比叡山、男山を見ていましたが、比叡山から見るヨシ原はどのように見えるのかと、比叡山の山頂から見てみました。

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比叡山山頂からヨシ原を望む               (2023.9.15)

あいにくの天気で、かすんでいましたが京都の街の向こうに淀川が曲がりながら流れ、左右に天王山と男山を見ることができました。

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ヨシ原の堤防より比叡山を望む          (2023.8.20)

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[2] ヨシ原には入会権(いりあいけん) があります。

入会権の無い方が、ヨシを採って行くと「泥棒」と同じになります。

上牧の駅から上牧・鵜殿ヨシ原に向けて20分ほど歩いて行くと、旧山崎出張所の建っている堤防の下にたどり着きます。ヨシ原に入る車止めのゲートを入ると、横に国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所の案内板が建てられています。

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写真左の建物が河川事務所旧山崎出張所。中央の塔はヨシの葦牙(あしかび)を模した河川の監視塔です。
右奥が上牧の駅にとなります。中央の草で隠れているところに案内板があります。

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案内板には、渡り鳥オオヨシキリの繁殖場のこと、つばめの塒入りの写真。

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篳篥の蘆舌の材料としての良質なヨシについても篳篥の写真入りで説明され、毎年2月のヨシ焼を行いヨシの原を守っていくことなどが書かれています。

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そして上牧・鵜殿ヨシ原の全体の地図も掲載しています。

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上牧・鵜殿ヨシ原は、左端から右端まで全体で75ha(750,000㎡ 甲子園18個分)あります。この広い面積を大きく二つに分けて上流側(左側)を上牧実行組合が入会権を持ち、下流側(ほぼ真ん中より右側)を鵜殿のヨシ原保存会が入会権を持っています。

このうち「つる草抜き」を行った箇所は、黄色で囲った中央より左側で、上牧実行組合が入会権を持っている所で、面積は7,000㎡(黄色で囲った左上方部分)あります。

「つる草抜き」を行った7,000㎡というと広いようにも感じますが、ヨシ原全体(750,000㎡)からすれば1%にも満たない面積です。(赤い縦の線は建設中の高速道路の位置です。水色の横に長い線は導水路を表しています。)

入会権(いりあいけん)とは、その権利が無いとその土地からヨシを採取することは出来ない、入会権を持っている人のみがその土地に生えているヨシを手にすることが出来るという権利です。

ヨシを採っていくと「泥棒」と同じということになります。

この上牧・鵜殿ヨシ原には、上流側(上牧実行組合)と下流側(鵜殿のヨシ原保存会)と二つの団体が入会権を持たれています。

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[3] 篳篥のヨシをセイタカヨシ(西湖のヨシ)と間違えた理由

牧野富太郎-⑭

牧野富太郎が鵜殿に篳篥用のヨシを求めて昭和12(1937)年8月15日と同年10月19日の2回に渡って訪れ、8月15日は篳篥の蘆舌用セイコノヨシ(ヨシをセイタカヨシ)と間違えていたが、現物を見て、説明を聞いて間違いであったことに気が付いた。(『ヨシ原通信』№243 9/7)

牧野富太郎の説明を再掲すると「私は久しい以前からこの鵜殿ノヨシを以て所謂西湖ノヨシだと信じていた。それは岩崎灌園の『本草図譜』巻十六に出ている図説に誤まられたもので、この『図譜』では明らかに西湖ノヨシを鵜殿ノヨシと同物にしているが、これは固より灌園の思い違い出会ったのである。鵜殿ノヨシの産地の土堤には同じく西湖ノヨシも生えているから、当時誰かがそれを鵜殿ノヨシと間違えて遠くその苗を江戸の灌園に送致し、そこで灌園が『図譜』へこれを鵜殿ノヨシとなして書いたものでありはしなかったかと想像する、『図譜』にはそれを一にダンチクと云うのだと書いていれど、ダンチクは一にヨシタケと称して全く別種である。」(牧野富太郎「篳篥の舌を作る鵜殿ノヨシ」(『續牧野植物随筆』鎌倉書房p186)

簡単にいうと「江戸時代の岩崎灌園の『本草図譜』に間違って書いてあった。私(牧野富太郎)もそれを信じていた。実際にヨシを見ると篳篥の蘆舌に使用するヨシは、普通のヨシで、実際に現物を見て判断しなかった私を含めた植物学者が「ノロマ」だったから間違った」という。

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ヨシ原へ2度目の時(昭和12(1937)年10月19日) 牧野富太郎は一人ヨシ原を見つめながらなぜ間違ったのかを考えているように見える写真ですね。(『牧野富太郎』平凡社 p55より)

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そして集合写真を (高槻市自然博物館あくあぴあ「ミニ展示 植物学者牧野万太郎と高槻 高槻を訪れた記録」より)

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[4]『ヨシ原通信』バックナンバー

『ヨシ原通信』を拡散していただけるとありがたいです。
『ヨシ原通信』のバックナンバーは、下記より読むことが出来ます。
http://gagaku-kyougikai.com/?p=2139

これまでに配布しました資料などは下記のアドレスから見ることがます。
https://drive.google.com/drive/folders/1M4MpYYxGF_GAdzrpjayvbI6BEw6zO8YX

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[5] 問合せ先・連絡先

メール gagakudayori@yahoo.co.jp
℡042-451-8898 ℡090-1538-1693
雅楽協議会 http://gagaku-kyougikai.com
発行 雅楽協議会 ヨシ対策室 担当 鈴木治夫

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篳篥を吹く源博雅(『陰陽師 玉手匣 2』より)ⓒReiko Okano

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